「ゴジラだからこそ、あの場所に行けた」
こちらアカデミー賞・視覚効果賞を受賞しました
『ゴジラ-1.0』の
山崎貴監督の言葉ですね。
本当に日本人としては非常に嬉しいこと。
何より特撮に莫大な費用をかける
ハリウッド映画を抑えての受賞ですものね。
アジア初とのことでしたが、
宮崎駿監督が2度目の受賞をしたアニメに世界はともかく、
実写は「ちゃちい」と言われ続けた邦画が
そこまでのことをできた。
これは快挙だと思います。
残念ながら私はまだ映画を観ていないので、
内容については、
ちゃんと観てから感想を書きたい。
でも、紹介するセレブたちの様子を見れば、
この「ゴジラ」がいかにハリウッドで
愛されていたかがわかります。
「完全にゴジラのおかげですね。
ゴジラがワールドワイドで大スターであることを、
改めて思い知らされた」
監督もそう述べていました。
考えてみれば、スピルバーグやらルーカスやらという、
今のハリウッドの特撮の土台を築いた人たちも、
もとはゴジラに影響を受けていたわけです。
その意味では、
「ようやく先人の功績に立ち戻れた」と
言えるのかもしれない。
ゴジラの発端といえば、やはり円谷英二さんが着想し
特撮を担当した最初の映画。
1954年の作品だったのですね。
私も生まれていない時代、
でも、どこかで円谷英二さんのことを書いたな……と、
探してみたら、なんと私のデビュー作。
『会社を踏み台にして昇る人・踏み台にされて終わる人』
だったんですね。
デビューから私も、
じつはゴジラに乗っかっていた作家でした(笑)
どうして円谷さんが、ハリウッドに影響を与えるような
特撮を実現できたのか?
そもそも彼は、
「映画が撮りたかった人」ではありません。
1901年に生まれた彼の夢は、
「飛行機のパイロットになること」だったのです。
でも、まだ日本に飛行機が
ほとんどなかった時代のこと。
その夢が実現することはありませんでした。
そして撮影会社に入り、
挫折するように生きてきた彼を変えたのは、
パイロット教育用の映画を撮影する機会を得たこと。
何よりリアリティが要求される、飛行教習の映像。
そのために自ら飛行機を飛ばして
撮影することも行なったそうですが、
「自分にだけができること」が、
ようやくわかった気がする。
さらに彼に影響を与えたのは、アメリカ制作された
『キングコング』を観たときでした。
リアリティのある映像で、こんな空想の映画をとれたら、
すごいことになるんじゃないか……?
それが1933年ことですが、
戦争を挟み、20年越しの研究を経て、
円谷さんは「ゴジラ」を作り上げたんですね。
考えてみれば、アメリカから日本、
日本からアメリカへ、そして再び日本へ……と、
ゴジラを通して成長してきた特撮の世界。
といって技術はまだまだ遠く及ばないかもしれませんが、
その個性を生かしながら、
日本映画の撮影が発展しくことを願いたいですね。