夢は枯れ野をかけめぐる

毎週配信メルマガ「賢者の会」通信はこちら

「旅に病んで、夢は枯れ野をかけめぐる」

松尾芭蕉の最後の句ですね。
5月16日は「旅の日」だったそうですが、
「なぜ旅か」といえば、
松尾芭蕉が奥の細道を執筆するために
旅立った日……なのだとのこと。

なるほど、旅の醍醐味が、世の中に伝播する
きっかけになった日ということなのでしょう。

画像は「枯れ野」ではなく、
近くの公園ですが、
最近、旅どころではなく、
むしろ引きこもりに近くなってしまっている私が、
買い物ついでで
気分転換に遠回りして来たところ。

駆け回っていたのは「夢」よりも、
晴れたのを喜んでいる子供たちでしたが、
それでも少し癒されましたね。

早く芭蕉のように大成して、
旅先で楽しく原稿を書ける身分になりたいな……。

なんて思いきや、実は松尾芭蕉も、
相当な無理をしていたことが知られています。

というのも、松尾場所のころはまだ
日本に印税や原稿料が定着してはいません。
書いた本がいくら売れたとしても、
それで儲かるということはない。

しかも俳句の神様のように言われる松尾芭蕉ですが、
俳句自体、彼が広めたようなところもあるわけです。
和歌ほど普及はしていないし、
弟子だって限られたほどしかいない。

だから「正体は幕府の隠密だったのではないか?」とか、
そういえば旅の速度が異常に早いから、
忍者だったのかもしれない……なんていう
説もあったりするわけです。

でも、実のところ芭蕉の暮らしはかなり厳しいもので、
「芭蕉庵」とは言われたものの、
川沿いの掘立て小屋のような家に住み、
質素な生活のうえ、
ときにバイトで治水工事の監督をしながら、
彼は旅へ出かける費用を稼いでいたんですね。

そんな生活がたたったのか、
50歳という若さで
彼は亡くなってしまうことになります。

でも、ただ夢を想像上の荒野で
かけずり回らせていたわけではない。
できることは何でもやりながら、
夢の実現を目指したから、
芭蕉は多くの人に慕われる俳聖となったわけです。

旅の楽しみとともに、
ぜひ芭蕉さんの強い信念を
私たちは継承していきたいですね。

関連記事

ページ上部へ戻る