月命日の発想……もっと私たちは「過去」に頼っていい

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画像は「仏壇に供えたいから」と母親に頼まれ、
近くの和菓子屋さんで買ってきた豆餅や大福……。

なんでも父親の「月命日」だったということで、
母は「たまには」と、供えたかったようです。

そうか、もうそんな日だったっけ?
父の……えっ?
でも、確かオヤジが亡くなった日って、
冬の寒い時期だぞ??

そう、だから「月命日」なんです。
12月20日に亡くなったら、1月から11月まで、
すべての月の20日が「命日」になる。
仏教の発想ですね。

でも、そんな毎月のように命日を迎え、
故人を思い出すのって、悲しくないのか……。

いや、でも、それだけ思い出していれば、
寂しくもならないのかな……?

確かに「思い出す記憶」は、
明るいものばかりではないかもしれない。
でも、母親の現在の人生にとってみれば、
毎月のように昔を思い出すことは、
それほど悪いことではないような気もする。
なんか楽しそうだし……。

これは、誰かの命日ばかりではありません。
過去に何かを達成した日だったり、
何かの記念日だったりをきちんと記録し、
その度ごとに
よかった思い出を振り返る……。

私などは出版点数ばかりは多いから、
すべての発行日を記念日にしてしまえば、
まるで売れっ子作家であるかのような、
勘違い人生を満喫できるかもしれません(笑)

88歳医師の読むだけで気持ちがスッと軽くなる本
(高田明和著、三笠書房)には、
イギリスのBBC放送で行なわれた実験が
紹介されています。

それは高齢の被験者たちに、
40代、50代のときの自分になりきって
集団の生活をしてもらう……というもの。
そのために被験者たちの部屋からは、
鏡など、実際の年齢を想起させるものを
一切除去したそうです。

すると参加者たちには、
認知能力などに、明らかな若返りが見られた。
実際、脳卒中で歩けなくなっていた88歳の男性が、
自力で歩けるようになった奇跡まで起こったそうです。

一方で、私たちは「過去の思い出にひたること」を
「弱い人間がすること」のように考えがちです。

過去のことなんて頭から除去し、
つねに「未来の自分」を頭に描きながら
「現状の困難」に立ち向かうことこそ、
前向きな人間がやるべきことではないか。

そうして新卒の学生たちは、
楽しかった大学生活を心から切り離し、
一生懸命に今の社会人生活に馴染もうとする……。

でも、私たちって、そんなに皆、強いのだろうか?

自分がいままでやってきたこと、
自分が出会ってきた人々、
全部、大切な自分の資産であり、
すべて自分が内在している力であるはず。
もっと私たちは、それを大切にしていいのではないか?

偉そうなことは言えません。
私もずっと現状の出版業界の不振の中で、
仕事が少なくなった自分に自信を失うばかり。
ちょっと自己否定気味になっていたことがあります。

先日、『武士道』の11刷に関し、
皆さんから祝福のメッセージを抱き、
ようやく浮かばれた気持ちになりました。
ありがたいですよね。

過去において自分を励ましてくれた人々や、
一緒にいい思い出を作った人々。
思い出すと、すべての時期が自分にとって
プラスになっているように思うし、
一つひとつの出会いを大切にできなかったことを
後悔もしてしまう。

もっともっと私たち、
過去の思い出を人生に生かしていくべきなんでしょうね。

 

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