勝鬨橋の完成……決して「負の遺産」ばかりではないのかも

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6月14日は、墨田川にかかっている
こちらの「橋」ができた日なんだそうです。
勝鬨橋……ですね。

日本にはほとんどない、下に船が通るときに
真ん中から割れて上に開く「跳開橋」。

ですが、その格好いい開閉の様子を
私は見たことがありません。
1970年に閉じてからずっと、
開いたことがない……とのこと。

貴重な開く様子のスライドショーは、
土木学会附属土木図書館のHPで再現されていますので、
そちらを参照してくださいませ。

この勝鬨橋に私は縁があり、
かつて渡った先に、師匠の先生が住んでいたこと。
その後も勉強会の施設をたびたび近くに借りたので、
何度も橋の上を歩いた記憶があります。

実はそばに「資料館」もあって、
昔の映像なども見ることができるんですね。
そのたびに、
「これ、上に上がるんだなぁ……」と、
ちょっとワクワクしながら上を渡った記憶があります。
また近くで勉強会などやりましょうね。

この橋が誕生した1940年は、戦争が始まる間際。
多くの物資が、
武器を作る材料に回された時代です。

だから多くの大建造物が製造中止になったのですが、
それでも勝鬨橋だけはつくられた。
なぜかといえば、月島あたりを中心に
「万博」を行なう予定があったからだとか。
「日本にはこんな技術があるんだぞ!」と、
世界にアピールしたかったんですね。

さらにここが日露戦争の戦勝記念で
「勝どき」と呼ばれる場所になったことも
大きかったのでしょう。
中止するのは、ちょっと縁起が悪かったのではないか。

ただ結局、予定していた万博は中止になり、
日本は戦争への道を突き進んでいったのですが、
橋の真価が発揮されたのは、戦争が終わってから。

「東洋一の可動橋」と言われた勝鬨橋は、
戦後復興を目指す日本のシンブルの1つとなり、
港と高速道路が整備され、
墨田川を大きな貨物船が通る必要がなくなるまで
ずっと日本経済を支え続ける力になったわけです。

まあ、「万博」が生み出した無駄づかいには
違いなかったのですが、
結局は「それをどう生かすか」という問題なのでしょう。

勝鬨橋をおそらくは「無駄なもの」と
認識する人は少ないのではないか。
大阪でやる万博も、結局はそれを生かす私たち次第
……ということなのだろうなと思います。

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