受け継いでいきたい「すくぶん」を受け継ぐ心

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「すくぶん」というのは、本土で言う「職分」の意味。
沖縄では「使命」とか「役割」を意味する言葉して
使用しているそうです。

その「すくぶん」をタイトルにして、
公開されている絵本がこちら。
https://mothernurse.jp/book/

沖縄で「ひめゆり学徒隊」を率い、
従軍看護婦として負傷兵の看護に尽くし、
「沖縄のナイチンゲール」と呼ばれ、
赤十字からも表彰された女性、
真玉橋(まだんばし)ノブさんの伝記だそうです。

6月23日は、沖縄の「慰霊の日」。
旧日本軍の沖縄における戦争が終わった日ですが、
追悼行事なども行なわれています。

そんな日に産経新聞で紹介されていたのが、
この真玉橋さんの話でした。

そもそも「ひめゆり学徒隊」とは、
沖縄での戦争が始まった際に動員された
沖縄県立女子師範学校と
沖縄県立第一高等学校の女子生徒たち。
画像は「ひめゆり学園跡」を示す像だそうです。

その10年ほど前、
この第一高等学校を卒業した真玉橋さんは、
職分として「国の役に立つこと」を決意。
日本赤十字社の養成所に入所し、
看護師として日中戦争から従軍することになったわけです。

そんな彼女は27歳のときに沖縄へ戻ってきます。
故郷が戦場となってしまった沖縄で、
それでも自分ができる役割を果たそうとする
まだ10代の女の子たち。
彼女たちを看護婦長として、指揮する役を
彼女は任されたんですね。

動員された240人のうち、
136人が亡くなったという「ひまわり学徒隊」。
それ以外にも2000人の学生たちが亡くなる
過酷な戦地となったのが沖縄でした。

そんな戦争に生き残った彼女は、
戦後になって何をしたか?

今度はアメリカが建設した病院の看護婦長となり、
気づいた沖縄の人々の回復と復興に
努めていたったんですね。

状況が変わっても、自分の職分を失わず、
やるべきことを遂行したわけです。
その奮闘が、1985年の「ナイチンゲール記章」の
受賞につながりました。
真玉橋さんはその名誉を、
「ひめゆりの乙女たちと仲間の医師と看護婦たち」に
捧げたそうです。

すでに彼女は2004年に亡くなっていますが、
令和の現在に生きる私たちは、
2度と悲劇を起こさぬよう、
戦争を憎み、平和な世界を望む姿勢を
貫き続ける必要があるのはもちろんのこと。

その一方で、過酷な状況にもかかわらず、
勇気や信念をもって職分を果していった
ずっと年下の人々がいたことを
忘れてはいけないですよね。
その強い心は、日本人が継承していかねばなりません。

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