『貞観政要の教え』……リーダーは決して「偉い」存在ではない

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大河ドラマで『鎌倉殿の13人』が放送されていたとき、
この人物と『貞観政要』の組み合わせは、
何度か紹介しました。

北条家・3代目執権の北条泰時、
日本で初めて武士の存在を法制化し、
その役割を定義した人物。

その法令こそ、
『御成敗式目』と呼ばれるもので、
叔母の北条政子の勧めもあり、
彼がバイブルにしていた中国の古典に
影響を受けたもの。
その古典こそ私が現代語訳した
『貞観政要』だったんですね。

8月27日は、
その『御成敗式目』が制定された日。
今から800年近く前、
1232年のことになります。

北条泰時といえば、
『鎌倉殿の13人』の主人公で、
小栗旬さんが演じていた2代目執権
北条義時の実子。
抗争や陰謀に明け暮れていた父親を見ながら、
世の中を安定させる秩序を
法によって実現しようとしたわけです。

そんな考えのもとに出来上がった
『御成敗式目』ですが、
この始まり、第1条は、
どういうものだったのでしょう?

意外なことに、
「地元の神様」へのリスペクトでした。

「神様を敬いなさい。そして霊験を新たにしなさい」
「神社を修理して、お祭りを盛んにしなさい」
「そうすることによって民衆は幸せになる」
「国を支配する武士たちは、
このことを理解しなければならない」

そんな内容ですね。

つまり、ときに武力で民衆を抑えつけた武士よりも、
地元の神様のほうが、
ずっと偉い存在なんだと確認させた。
そして
「お前たちは、民衆を幸せにする存在なんだ」と、
武士を社会の奉仕者に定義づけしたわけです。

むろん、これがいつも忠実に
実行されたわけではないでしょうが、
「武士=民衆の幸福のために仕事をする存在」
なのだと、ハッキリ言っています。

ひるがえって『貞観政要』を読めば、
皇帝・太宗は、自分の役割を
「民衆の幸福を守る存在なんだ」と
明確に認識していました。

だから私欲を捨て、決して驕り高ぶることなく、
常に民の声を聞こうとした。
名も知らぬ民から
皇帝が教えをこうむるエピソードもあれば、
民衆に見限られ、破滅した先代の皇帝たちの話も
本の中にはたくさん出てきます。
世界のリーダーがお手本にした本は、
そんな戒めの本でもあったんですね。

こうしたリーダーのありようは、
何百年目も経った現代でも、
変わることはないのでしょう。
総裁選や党首選の話題が尽きない今ですが、
日本を背負うリーダーも
決して忘れないでほしいですね。

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