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出版への情熱が「葛飾北斎」を大成させた
- 2024/9/7
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最近、私のお財布にも、
新札がだんだんと入ってくるようになりました。
1万円札でなく、千円札ですけどね(苦笑)
千円札といえば、肖像は北里柴三郎さんが
描かれています。
そっちばかりが話題になっていますが、
裏面にある絵柄。
こちらには意外にも思えるのですが、
初めての採用。
葛飾北斎の『富嶽三十六景』から、
「神奈川沖浪裏」の浮世絵が採用されているんです。
これを「意外」と言ったのは、
「世界で最も有名な絵画」の1つあり、
日本を代表する芸術作品が、
この「神奈川沖浪裏」だから。
その海外での呼び名は、「The Great Wave」。
かつてのニューヨーク、
メトロポリタン美術館の館長は、この作品を
「モナリザに次いで世界で2番目に有名な作品」
と評価しています。
複数印刷される版画の作品にも関わらず、
クリスティーズのオークションで
1枚1億4000万円の値がついたことでも
有名になりました。
発売当時は1500円程度と言いますから、
価格はおよそ27万倍になっているわけです。
すごいですよね。
この『富嶽三十六景』を北斎さんが描いたのは、
70代になってから。
かねてから「描こう、描こう」と思いながら、
「自分にはまだ早い」と我慢してきた。
やっと自信が持てる腕になり、
満を持して描いたのが、
富士山の絵だったわけです。
それくらい難しい素材と考えていたんですね。
その北斎さんの成長経緯は、
最近に発売されて売れている
『蔦屋重三郎と江戸文化を創った13人』
(車浮代著、PHP文庫)
という本に詳しくあります。
そう意外ですが、
来年の大河ドラマの主人公、蔦屋重三郎。
日本の出版業界の創成者みたいな方ですが、
そんな人物が
「葛飾北斎」を育て上げているんですね。
かつて勝川春章に弟子入りし、
葛飾春朗を名乗っていた北斎。
そのころから蔦屋重三郎は、
挿画の仕事を彼に依頼し続けます。
ところが北斎は師匠とやがて決別し、
自分のスタイルを決められず、
試行錯誤の時代を迎えることになる。
この時期に蔦重が相談に乗っていて、
謎の画家「写楽」が活動した時期と重なるから、
「北斎=写楽」の説が生まれているんですね。
かつて緒形拳さんが北斎を演じた映画でも、
そういう設定になっていたのではないか。
はっきりしているのは、当時、蔦屋重三郎の縁で、
北斎が出会った新進気鋭の作家、
それが後に『南総里見八犬伝』を生み出す
曲亭馬琴さんでした。
彼もまた、試行錯誤の時期の真っ最中でしたが、
2人して、面白い出版物を世に出そうと、
毎日のように意見をぶつけ合っていたとか。
北斎は彼の作品の挿画を担当することで、
世に知られていくようになっていくわけです。
まあ、北斎は勝手な解釈で絵を描くから、
いつも喧嘩になって、いずれ決別してしまうのですが、
すでに蔦屋重三郎は若きして病死した後。
それでも生前に打った布石が、
後の日本が生んだ大画家と大ファンタジー作家を
育て上げていたんですね。
ぜひ千円札を手に取ったら、思い出してください!