「昼に夢を見る者は、夜にしか夢を見ない者が見逃す、
多くのことに気づいている」
こちらはアメリカ、19世紀の作家、
エドガー・アラン・ポーさんの言葉。
10月7日は彼の命日で、
「ミステリーの日」とされているそうです。
『モルグ街の殺人』は、
「世界初の推理小説」と言われてますね。
亡くなったのは1849年。
40歳という若くしての死でした。
多くの有名な作品を残しながら、
生涯、ポーさんは「貧乏」に苦しんだ方。
山小屋のような家に住み、
13歳で見初めて結婚したという奥さんは、
20代にして結核で亡くなっています。
でも、どうして有名な作品を多く残した彼が、
そんなにお金で苦しんでいたのか。
まずは当時のアメリカ社会が、
作家に優しい世の中ではなかったんですね。
そう言うと、
「気持ち、わかるよ。大変だよね」なんて
シンパシーを感じてしまうのですが、
有名な『大鴉』の詩にしても
原稿料は9ドルに過ぎなかったとか。
それでも「作家業に専念しよう」と、
画策を続けたポー詩。
でも、当時はあまりお馴染みではなかった
サスペンスやホラーの類は、あまり売れてくれない。
その上で雑誌を立ち上げようとするも、
うまくいかず……と、
苦労に苦労を重ねていたんですね。
その上で飲酒癖もあったから、
誘惑に勝てずに泥沼にハマってしまった……。
泥酔して意識不明になって発見された死には、
様々な疑惑はあれど、
亡くなってから与えられた大きな評価は
皮肉なものでしたね。
実のところ海を越えた日本では、
ポーが生まれる前の18世紀から
「作家が原稿を書くだけで生活できる世の中」が
確立されています。
それは来年の大河ドラマの主人公、
蔦屋重三郎さんが、出版文化を活性化させるため、
作家の専門職を育てようと
「原稿料」のシステムを確立したんですね。
よって江戸時代には、
『南総里見八犬伝』の曲亭馬琴さんや
『東海道中膝栗毛』の十返舎一九さんなど
職業作家が成立していました。
場所が場所なら、もっとポーさんも、
素晴らしい作品を多く残せたかもしれませんね。
その無念は、晴らしてあげたいな。
まあ、頑張ろう!
画像は『ライジーア』という小説の
オリジナル挿画だそうです。