江戸のお姫様の「生前葬」

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こちら東京は大田区の池上本門寺のそばにある、
「万両塚」という史跡。
たまたま空いていたので、見学することができました。

中央の塔に、二重の溝を張り巡らした
広大な正方形の墓所。
著名人のお墓が多いこの辺りにおいても、
極めて巨大で立派なお墓であり、
「建設費に何万両もかかったのではないか」
ということで、ちょっと皮肉っぽく、
「万両」塚と呼ばれるわけです。

これが誰のお墓かといえば、
徳川家康の孫にあたる
「芳心院」と呼ばれる方。

その父親は紀州徳川家の祖となった
徳川頼宣であり、
自身は鳥取の池田藩に嫁ぎ、
「因幡姫」とも呼ばれていたそうです。

でも、鳥取に嫁いだお姫様のお墓が、
なぜ東京のここにあるのか?

それは、さすが家康の孫に当たる人。
嫁いだ後でも渋谷あたりに家を構え、
たびたび幕府に対して口添えをし、
強大な影響力を発揮していたそうなんです。

旦那さんが亡くなったときには、
自分の髪だけ向こうに送ったそうで、
たくましい江戸のお姫様であったのでしょう。

熱心な仏教の信者であり、
社会貢献も多くされたお姫様だったそうですが、
「生きているうちに自分の供養を
できるだけやったほうが、
あっちの世界で幸せになれる」という
まるでエジプトの王様のような宗教観を
持っていたとのこと。

それで自身の経済力や影響力を駆使し、
まるで将軍の墓にも匹敵するような、
この巨大で立派な墓を建造したそうです。

溝が二重に張り巡らしてあるのは、
大嫌いだった蛇の侵入を防ぐためだとか。
溝があるだけで、
水は湛えられてはいなかったようですね。
ちょっと「万両塚」なんて言われるのは、
不本意だったかもしれない。

なお、この墓を調査した際に、
敷地内から弥生時代の遺跡とか、
古墳の跡が見つかっています。
すみっこのほうに、
ちゃんと墳丘も残っているんですね。


興味ある方は、ぜひ訪ねてみてくださいませ。

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