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「アメリカ市民の模範」となった日本人
- 2025/1/4
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もうすぐ任期切れとなるアメリカの
バイデン大統領ですが、
今は日本製鉄のUSスチール買収阻止の話ばかり
注目されています。
一方であまり話題になっていないのですが、
1月2日に、日系人のミツエ・エンドウさんに
「大統領市民勲章」を授与したという
ニュースがありました。
「大統領市民勲章」というのは、
「アメリカ市民の模範となる米国人」を
大統領が表彰して授与する勲章。
すでに2006年に80代で亡くなっている
エンドウさんですが、
米国で名誉に輝きながら、
日本ではほとんど知られてない方だと思います。
一体、何をした方なのでしょうか?
彼女は1920年、日系2世として
サクラメントで生まれ、秘書学校を経て、
公務員職に就きます。
ところが1941年に真珠湾攻撃が起こり、
太平洋戦争が開戦すると
ルーズベルト大統領は、
日系移民の存在を危険視します。
そして「大統領令9066号」により、
日系人は財産をほぼ没収され、
強制収容所に入れられることになったわけです。
約12万人がその犠牲になったと言われますが、
ミツエ・エンドウさんは、
市民団体やアメリカ人弁護士の支援を得て
1942年に訴訟を開始。
1944年には、
「忠誠な市民の身体を拘束しておくことは、
憲法違反である」という
判決を勝ち取りました。
のちに「エンドウ事件」とか、
「エンドウ訴訟」と呼ばれるようになった
この裁判。
いかに敵国で生まれていようが、
アメリカで育ち、アメリカのために働き、
アメリカを愛する人間は、
アメリカ人以外の何者でもない……という
世論を作り出し、
徐々にではあるものの、
すべての日系人が強制収容所から
解放されることになります。
まさにエンドウさんは、そのきっかけを
作った方なんですね。
どこの国のどこの場所で生まれようが、
当たり前のように、故郷を大切に思う。
アメリカ人とか、日本人ということでなく、
当然の不当な扱いに対して戦った方として、
私たちもリスペクトしたいですね。